なぜ占領軍は修身を禁止したのか
『修身のススメ』②
東日本大震災での原発事故をきっかけに反原発運動に参加するもその運動に疑問を持ち、運動から離れた。そのときの体験をもとに、活動や情報発信を行っている千葉麗子。日本のために何が出来るのか模索した結果、現在辿りついた“愛国”とは何なのか?子供のために、将来のために日本に今必要な事を訴える!子供のために、将来のために日本に今必要な事を訴える!集中連載シリーズ“修身”!!
占領軍が停止した三つの授業
修身の教科書ができたのは、明治三十六年のことだそうです。それから明治、大正、昭和と敗戦前までの間、子ども達の教育に用いられました。
ところが、敗戦後の昭和二十年十二月三十一日「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」という指令が占領軍から出され、修身を含む三つの教科の授業が止まってしまいました。
教科書も回収されることになりました。
なぜ、占領軍は修身と日本歴史と地理の三つだけを授業停止にしたのでしょうか。
そもそも、修身というのは「愛国心」を教えるものだったからです。
占領する側にとって怖いのは、抵抗されることです。
だから、その国の精神的支柱となる「愛国心」や誇りを支える「国の歴史」、勝ち残るために必要な情報や情報の扱い方であった「地理」の三つの教育を停止して、二度と反抗できないようにしようとしたのです。
よく大人になれとか、大人の態度って言いますよね。
これって、相手に非があっても言わないとか、受け流して相手にしないという態度をとることを意味します。こうしたらいいのにということを「教えない」ということです。大人でも、たまには何が悪かったのか教えてもらったらちゃんとしたのに、ということってありますよね。でも、そこで「教えてもらえなくなる」ということは、相手にされなくなるというのと同じ意味です。
愛国心を強要するのは良くない、怖いことだと批判する人がいます。
この人達は、教育と強要の違いをわかっているのでしょうか。子どものうちに「教えない」ことが招く本当の恐怖というものをわかっているのでしょうか。
ちなみに、私の祖母は福島の会津若松出身で音楽と薙刀の先生をしていた人でした。祖母は、礼儀作法には厳しかったです。
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